大宮日記 ラテン語、チョコザップ、漢文、大宮図書館

食べて飲んで、勉強して、本を読んで、運動して生きていく。ここ、さいたま大宮で。

【読了】ユーリ・ツェー著、浅井晶子訳『メトーデ 健康監視国家』河出書房新社

さいたま市立中央図書館所蔵

www.lib.city.saitama.jp

2024/10/08 大宮図書館より借入

2024/10/14 読書開始

2024/10/15 読了、大宮図書館へ返却

 

「メトーデ体制」でいいんじゃないか、と思った。どう転んでも抑圧と苦悩の世界であるのならば、「歴史」や「民族」そして「宗教」の呪縛から逃れられず殺戮の止まない地獄や、「新自由主義」の泥濘にはまって搾取し合う牢獄であるよりはまだましだろう。

「メトーデ体制」を支える男、ハインリヒ・クラーマーは言う。

「我々の社会は目的に到達しています」電気ケトルに水を入れながら、クラーマーは言う。「過去のどんなシステムとも違って、我々は市場にも宗教にも従属していません。退廃的なイデオロギーなど必要としない。体制の正当性を確保するのに、民衆による統治などという偽善的な信仰を持ち出す必要さえない。我々はただ理性にのみ従います。生物学的な意味での生から直接導き出される事実のみに依拠して、というのも、あらゆる生物には、共通するひとつの特徴があるからです。もちろん人間も含めて、あらゆる動物、植物が、その特徴を持っていますーー個人的かつ集団的な〈生存への意志〉をね。その意志を我々は、この社会が拠って立つひとつの大きな取り決めの基礎にまで発展させた。我々はこうして〈メトーデ〉を築き上げたんです。〈メトーデ〉の目的は、各個人にできる限り長く、できる限り苦しみのない人生を、すなわち健康で幸せな人生を保証することです。痛みと苦しみから解放された人生を〔…〕」 (P.33)

この鼻白む演説も不快ではあるが聞き流していた、本作の主人公ミーア・ホールは、冤罪で収監されていた最愛の弟モーリッツを自殺で失って間もない。健康と禁忌、公共と個人が融合し、「愛」ですらその中に包含されて体制となっていく状況の中で、弁護士ローゼントレーターがモーリッツの無実を突き止めた瞬間、ミーアは体制と闘う人になる。

私は、人間によって成り立っていながら人間的なものへの恐怖を基盤にする社会を信頼しません。身体を重視するあまり、精神を裏切った文明を信頼しません。私自身の血と肉ではなく、「標準的な身体」という集団的ヴィジョンであるべきとされる「身体」を信頼しません。己自身を「健康な状態」だと定義する「標準」を信頼しません。己自身を「標準」だと定義する「健康」を信頼しません。このような循環論法に依拠する支配体制を信頼しません。なにが問われているのかを明らかにしないまま、我こそ唯一絶対の答えだと主張する「安全」を信頼しません。(P.166-7)

標準的な身体、健康な身体により成立する体制に、「自分の身体」を「凶器」として立ち向かっていくミーア。無謀な闘いの末、法廷で叫ぶ。

「私は、あなたが本心で考えていることに賛成!」ミーアは叫ぶ。
「私はみんなの考えに賛成!私は凶器(コルプス・デリクティ)なのよ、ヴュルマー。いまの嘘、もう一度繰り返してみなさいよ、私の顔をまっすぐ見ながら!」(P.193-4)

本作の原題は、corpus dēlictī 。「物的証拠」「凶器」として今でも使われる法律用語だそうだ。

近未来、21世紀半ばのドイツを舞台としたSFの体をとっているが、コロナ後の現在(本作はコロナ前に書かれた)、色々と考えさせられることも多かった。ただ、エンタメとして読んでもたいへん面白い小説であることは間違いない。