京都や奈良の古寺を巡り、仏像や寺院建築を「日本文化の粋」として鑑賞する行為。あるいは、中学生や高校生が全員参加の行事として関西方面へ修学旅行に赴く習慣。私たちはこれらを、あたかも昔から続く日本人の変わらぬ伝統であり、普遍的な文化的営みであるかのように受け止めている。しかし、その「当たり前」の認識は、いつ、どのようなメカニズムによって社会に定着したのだろうか。
菅沼明正氏の著書『流転する伝統』は、この素朴かつ深遠な疑問に対して、緻密な史料検証と鮮やかな社会学理論を用いて解を提示する卓越した研究書である。
本書の最大の功績は、文化財鑑賞という行為の定着を、単なる国家イデオロギーの押し付け(「上からの啓蒙」)や、単なる大衆の消費欲求(「下からの観光」)という単線的な説明に回収しなかった点にある。著者は、行政による法令整備、鉄道会社や旅行業者による市場開発、出版メディアによるイメージの普及、そして学校教育における修学旅行の慣習化という、異なる目的を持った複数の領域がどのように交差し、相互作用を果たしたのかを包括的に紐解いていく。
特に興味深いのは、かつてエリック・ホブズボウムが提唱した「創られた伝統」という有名な概念をさらに推し進め、伝統を固定的な起点ではなく「変化し続けるプロセス」として捉える「流転する伝統(Tradition Adrift)」という新たな概念を提示している点だ。
近代初期において、宗教的遺物は必ずしも国民的な宝物として鑑賞されていたわけではなかった。政府の政策や財政上の事情、社寺側の抵抗といった条件の中で、社寺に宝物を置いたまま指定する形式が取られたことが、結果として「現地に足を運んで社寺を巡る」という行動様式の基盤をつくった。さらに戦前における鉄道網の発達や農村部の信仰基盤を利用した団体旅行の広がり、戦後の占領政策による宗教的参拝の禁止とそれに伴う「文化財鑑賞」への意味付けの転換など、偶発的な歴史的条件や各種アクターの利害関係が組み合わさることで、現在の観光スタイルが確立されていく。
著者はこの複雑な変容プロセスを、インフラの整備と通電に例えた「配電盤モデル」という枠組みで整理する。政策や技術が「基盤」を整え、戦後の教育需要や専用列車の整備、貸切バスの普及といった要素が結びつくことで「通電」が起き、社会制度として強固に共有されるに至ったという分析は極めて論理的であり、目から鱗が落ちるような鮮烈な知の快感をもたらしてくれる。
私たちが京都や奈良で感じる「歴史の重み」や「心のふるさと」という感覚すらも、近代以降の経済的・技術的・社会的要因の交差の中で立ち現れてきた言説の結実である。本書は、修学旅行や観光という身近な題材を通して、近代日本のナショナル・アイデンティティや社会制度の構築プロセスを見事に可視化した傑作であり、歴史社会学・観光社会学の新たな到達点として高く評価されるべき一冊である。