2026年第二四半期(4月〜6月)は28冊を読了した。
振り返ってみると、この三か月の読書には明確な共通テーマがあった。それは「境界」である。
人間と動物、生者と死者、仲間と異邦人、正常と異常、文明と未開──。私たちは世界を理解するため、さまざまな境界線を引き、その内側に秩序を見いだしてきた。しかし、それらの境界は本当に自明なのだろうか。本書群は、それぞれ異なる角度から、その線引きの曖昧さと危うさを問いかけてきた。
そんな思索の旅の中で、とりわけ深い印象を残した五冊を紹介したい。
第5位 『言語の人類史』 スティーヴン・ミズン(河出書房新社)
人間を人間たらしめたものは何か。その問いに対し、本書は「言語」という切り口から壮大な人類史を描き出す。
考古学、人類学、認知科学を自在に横断しながら、言葉が共同体を形成し、知識を世代から世代へ受け渡し、文明を可能にした過程を解き明かしていく。言語とは単なるコミュニケーションの道具ではなく、人類が世界を切り分け、意味づけるための装置だったのである。
知識が一つ増えるというより、「文明を見る座標軸」が書き換えられるような読書体験だった。
第4位 『鶏まみれ』 繁延あづさ(亜紀書房)
今期最大の拾い物と言っていい。
鶏を飼い、糞を片づけ、病を見守り、命を送り出す。その静かな日常を綴ったエッセイでありながら、本書は現代社会が巧妙に隠してきた「生命を支える仕事」の本質を浮かび上がらせる。
介護、畜産、清掃、看護──社会はこうした仕事によって支えられているにもかかわらず、それらはしばしば「穢れ」と結び付けられ、人々の視界から遠ざけられてきた。
デヴィッド・グレーバーが『ブルシット・ジョブ』で意味を失った労働を論じたとすれば、本書はその対極にある。「生命を維持する」という最も根源的な仕事の尊厳を、これほど静かに、しかも力強く描いた本を私は知らない。
第3位 『ネクロポリティクス』 アシル・ンベンベ(人文書院)
本書は、「国家とは何か」という問いを根底から覆した。
近代国家は市民の生命を守る存在である──その常識に対し、ンベンベは「国家は誰を生かし、誰を死に近づけるかを決定する権力でもある」と喝破する。
植民地主義、人種差別、占領、戦争。そうした現場では、一部の人々は法の保護から切り離され、「死んでも構わない存在」として扱われる。本書が提示する「死の政治」という概念は、現代世界の暴力を理解するための鋭利な分析装置である。
ガザやウクライナ、難民問題、監視社会。読後、日々のニュースの見え方が変わった。優れた思想書とは、新しい知識を与える本ではなく、新しい世界の見方を与える本なのだと実感した。
第2位 『欲と偽善のサステナビリティ』 ヴィジェイ・コリンジヴァディ/アーロン・ヴァンシントジャン(講談社)
本書が批判するのは環境保護そのものではない。「サステナビリティ」という理念が、いかに消費社会の論理へ巧妙に取り込まれてきたかである。
エコ商品を買い、倫理的消費を実践することで、私たちは本当に社会を変えているのだろうか。それとも、欲望そのものは維持したまま、罪悪感だけを軽減しているのではないか。
本書は、人間が自らの欲望を「善意」で包装する能力の高さを容赦なく暴き出す。環境問題を論じながら、その本質は人間理解の書であり、資本主義批判の書でもあった。
第1位 『分断と排除の人類史』 デイヴィッド・サムソン(新潮社)
第二四半期を代表する一冊である。
現代社会では、分断や排除は政治やSNSが生み出した病理として語られがちだ。しかし本書は、その根源を数万年に及ぶ人類の進化史に求める。
仲間を信頼し、外集団を警戒する「トライブ動因」は、人類を生存へ導いた適応戦略だった。ところが、その成功体験は国家やインターネットによって巨大化した現代社会では、憎悪や陰謀論、ヘイトへと容易に転化してしまう。
私たちは最新のテクノロジーを手にしながら、なお旧石器時代の脳で世界を理解しようとしている。本書は、その進化的ミスマッチを見事に描き切り、「分断の時代」を読み解くための強力な視座を与えてくれた。
第二四半期を振り返って
第一四半期は、帝国、政治、科学、歴史といった「世界の仕組み」を学ぶ読書が中心だった。
それに対し第二四半期は、その世界をつくり上げてきた「人間」という存在そのものへ視線が向かった三か月だった。
言語によって世界を切り分ける人間。生命を支える営みを見えない場所へ追いやる人間。欲望を善意で正当化する人間。仲間と他者を峻別し、ときに死さえ配分する人間。
こうして振り返ると、この三か月の読書は、一冊ごとに知識を積み重ねたというより、人間という存在をさまざまな角度から照らし続けた営みだったように思う。
読書の面白さは、本が答えを与えてくれることではない。別々に読んでいた本が、ある日突然、一つの問いで結ばれる瞬間にある。
第二四半期の私にとって、その問いとは「人間とは何者なのか」であり、「私たちはなぜ、これほどまでに境界を引きたがる生き物なのか」であった。
第三四半期には、この問いがどのような本へ私を導いてくれるのか。それもまた、読書の楽しみの一つである。